極真会館道場訓

極真会館道場訓には、極真空手を学ぶ上で最も大切な心構え
が詰め込まれています。
極真空手はあくまでも武道としての空手を追求しています。
あらゆる格闘技がスポーツ化していくなかで、故・大山倍達
総裁は、空手の修業は自分自身の体と心を磨き上げることこ
そが最終目的であると明言したのです。
道場訓は、そのような大山総裁の武道観、空手観をまとめた
ものです。
昭和を代表する小説家であり、「宮本武蔵」の著者で知られ
た吉川英治先生が監修されたもので、文語的な古い言い回
しが用いられています。そのため、ただ読むだけでは、その
意味を理解することは難しいかもしれません。そこで、
ここでは道場訓の言葉の意味を簡単に説明しておこうと思い
ます。
 

                     

 

◆吾々は心身を錬磨し、確固不抜の心技を極めること  
 
 私たちが空手を修業する目的は、自分自身の体と心を鍛え
ることにあるのです。
真剣に稽古に打ち込むことで、どんなことにも動じない、不
動心、強い意志といったものを習得していかなくてはなりま
せん。
 
◆吾々は武の真髄を極め、機に発し感に敏なること  
 
 武道としての空手の道を徹底的に追究していくことで、
私たちはどんな状況でも臨機応変に対処する力、相手の心を
理解し思いやりや優しさ、そしてどんなことにも素直に感動
できる心を身につけなければなりません。
 
◆吾々は質実剛健を以って、克己の精神を   
 涵養すること 
 私たちは、決して自分を飾ることなく、真面目で素直に空
手の修業に打ち込まなくてはなりません。そして、それによ
って自分自身に打ち勝つ、強い心を養っていくことを心がけ
ましょう。
 
◆吾々は礼節を重んじ、長上を敬し粗暴の振る舞い    
 慎をむこと
 私たちは武道を学ぶことで、しっかりとした礼儀を身につ
けなければなりません。目上の人を敬う心を養い、空手を
したなんでいるからといって、決して人前で空手の力を誇
示してはいけません。 
 
◆吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること
 
 私たちは人間の力が及ばない自然や宇宙の摂理を重んじな
ければなりません。と同時に神や仏を敬う心も忘れてはなり
ません。そう心がけることで、相手のことを大切にし、自分
を謙遜する態度が身につくのです。
 
◆吾々は知性と体力とを向上させ、ことに臨んで
 過たざること
 
空手の修業は、ただ肉体を鍛えさえすればいいというもの
知ではなく、性と体力をともに向上させていかなくては
なりません。
てそれによっ、どんな状況でも焦らず、冷静に対処すること
ができるようになるのです。
 
◆吾々は生涯の修業を空手の道に通じ、極真の道を
 全うすること
 武道としての空手の修業は一生かけて追い求めるもので
す。一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢、
それが極真空手の本義なのです。